【野球・球速アップ】ド素人氷河期おっさんが球速200キロをめざす!!【44歳で最速121キロ】

ド素人うつ病氷河期おっさん球速200キロへの挑戦の記録 相互も募集してます yamato19453248@outlook.com まで

    カテゴリ: 管理人個人史

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    取り敢えず現状の前提条件が分かりやすいよう、僕の個人史をざっくり載せますね

    小学校四年生くらいまでは、喘息の持病があったこともあり、あまりスポーツというものに積極的になれなかった。というより、二年生ぐらいまで自転車にも乗れなかった。
    大体高校生くらいまでは、男子の価値基準とかマウンティングは運動神経の良し悪しで決まってしまうものだ。当然そんな中僕はコンプレックスの塊となり、どんどん運動から遠ざかっていく…と思いきや、ちょっとした転機が訪れた。
    四年生の時、学校のレクリエーションで出会ったフットベースボール(当時はサッカー野球と呼んでいた)である。「ゲームとしての野球」の面白さに目覚めたきっかけである。
    そして五年生の時にテレビで見た「トルネード投法の男」の豪快なピッチング。
    フォアボールを出しても、それ以上に三振を奪ってねじ伏せる投球に、僕は目を奪われた。
    「速球投手」というカテゴリーへの憧れを強くした瞬間であった。
    そして中学校入学…当然野球部入部…といきたかったのだが、自分の体力、運動神経が、同学年の平均値よりかなり劣ってしまっていることに気づいてしまっていた。無理に入って頑張りまくっても、三年間球拾いで報われずに終わることは明白。まだ喘息が悪化する不安はあったし、体育会系的なノリへの根本的な拒絶反応もあった。
    それなら個人で好きにやろう。帰宅部トレーニーとして…。
    普通とは違う、僕だけの方法論で、腕力、その他の能力に秀でた連中を出し抜く!
    これは今でも僕の基本理念となっている。
    なんとしても、力をつけたい…運動部のヤツらが考え付かないような方法で…。
    片足スクワットや片腕立て伏せ…。バスタオルを使ってのシャドウピッチング…。当時はまともなトレーニングの知識などなかったから、素人考えででたらめな事ばかりやっていた。腕を太くすれば速い球を投げられる、と思っていたから…。
    しかし現実の進化は亀の歩み…。公園でバックネット相手に投げていたら、飛び入りで参加してきたサッカー部員の方が遥かに速い球を投げられる…これは惨めなもんである。
    そうこうしているうちに高校受験の時期がやってきて…僕は見事に失敗し、滑り止めの私立高校に通うこととなる。
    高校一年の時にJリーグが開幕。「野球はオッサンの娯楽」的な風潮が急激に広まりだしたのがこの頃である。僕もクラスの話題についていくべく必死こいて、サッカー雑誌を立ち読みしていた。
    振り子打法を駆使する細身の青年が突如として球界の表舞台に現れた時も、正直それほどの感慨は湧かなかった。
    野球に対する情熱は萎えかけていた。
    でもなぜか、我流トレーニングだけは続けていた。将来に対する漠然とした不安を抱きながら…。
    このままいけば、まあどこか大学には入れるだろう。何とか就職したとして、で、その後どうする?
    文武どちらにも、自分に特別な才能などないことは判っている。それどころか精神と頭脳と肉体の容量が絶対的に足りない自分が社会に出ても、荒波に呑まれ流されるだけの人生しか待っていない。
    人知れず思い悩んでいた所へ、アメリカに渡った「トルネードの男」が旋風を巻き起こしたのである。

    【管理人個人史①】の続きを読む

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    大学時代:晴れて地元の私立大学に入学した俺。だが硬式野球部はそれなりにレベルが高く、推薦でしか選手を採らない。まあ自分にとっては「自分のやりたいジャンルを自分のペースでやる。」ということが重要だったから、いきなり容赦なく淘汰にあうような体育会系野球部に、この時点で無理に入りたいとは思わなかった。
     結局、軟式野球同好会サークルへ入ることにした。
     ここなら心置きなくピッチャーとしてのトレーニングが・・・・

     

    【管理人個人史② #球速200キロプロジェクト】の続きを読む

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    ダッシュ、ウエイトトレ、投げ込み、はてはEMSと呼ばれる、筋肉への電気的刺激を用いたトレーニング・・・。‘98年末~‘99年2月の3ヶ月弱の期間、がむしゃらに俺は肉体を追い込んだ。
    こんなんやっても、150キロのボールが投げられるわけじゃないのに・・・・途方もなく無駄なことしてるぞ俺よ・・・・。

    内面の理性の声も、例によって無視した。


    【管理人個人史③ #球速200キロプロジェクト】の続きを読む

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     2000年4月、大学を卒業した俺は名古屋の居酒屋チェーン店に就職。
     
      たとえ望まぬ進路だったとしても、全力でこの社会に適応しよう!

     当初、俺はそう考えていた。
    俺の得意技、「苦手な環境への過剰適応」である。
    研修でもやたらと挨拶等で声を張り上げ、言動に気合をにじませてみせていた俺は、新規展開の中華パブレストランのオープニングスタッフの一人に指名された。一応「店長代理」という肩書きもいただいた。
    【管理人個人史④ #球速200キロプロジェクト】の続きを読む

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    漠然と就職し、漠然と退職し、実家に戻りフリーター生活に身を投じてしまった俺。
     
     それなりに居心地のよさを感じてもいた職場を、二度と取り戻せぬ「新卒採用」の肩書きごと捨て、日本でもっとも競争率の高いスポーツにおける、先天的才能に全てが左右される「球速」という能力の増強を、成長期過ぎた身で追い求める・・・・。
     もちろんうまくいくはずもない。2002年夏ごろには110キロの壁を破ったが、その程度の進化が俺の人生を好転させる材料になるはずもなかった。

     


    【管理人個人史⑤ 飲食フリーター、正社員としての苦悩① 【野球球速アップトレーニング】】の続きを読む

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    晴れて、まあ勧奨退職という型ではあるが自由の身となった僕ではあるが、かと言って、
    「ハードトレーニング以外は極論寝て起きての生活をする。そうすれば極端に太りにくい体質の(当時173センチ52キロ)自分の身体も増強され球速も爆上がりするであろう。」
    少なくとも(本来いけない事だが)就職活動は職安へのアリバイ作り程度にして、失業保険を貰い 続けモラトリアム期間を稼ぎ、それを継続すれば未知の球速アップも…。
    しかし、それらのエネルギーを半減させる、思惑を崩してしまう要素があった。 
    【俊也個人史⑥ 氷河期世代…弥生と言う女性【球速アップトレーニングもしたいけど】】の続きを読む

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    また、自語りで申し訳ないが。


    …結局2004年夏、モラトリアム期間を大して 球速トレーニングには活かし切れぬまま、僕は前回とは別の飲食店にまずはアルバイトとして入り、当面の生活費(3分の2は弥生に徴収される)を稼いでいくことにした。
    だが、無論当初はそこに就職する気など無く、前回よりは時間的精神的余裕もあってトレーニングを継続していた。 【俊也個人史⑦ 本当の社会の「本チャン」の苦悩。そして強制貢ぎ【野球球速アップトレーニング】】の続きを読む

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    正直この段階で、休日も終始頭と視界がぐらついてかなり危ないと言う状態であった。
    弥生からは月々取り立ての通常運転。
    それに借金の件が重なる。 

    が、ちょっとした転機が訪れた。
    2006年秋口に、例の若手店長さんが関東に異動となり、代わりに店長としてもベテランの人が入れ替わりに来て、お後スーパーバイザーの方が退職したのである。
      【【長文胸糞注意】俊也個人史⑧ 逆パワハラ?こうして壊れていった僕 #野球・球速アップ】の続きを読む

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    数ヶ月程伏せって、年明け2015年。
    副社長から電話が来た。
    これまでの経緯の謝罪プラス、まだ僕に対し色々含むところありありな社長に忖度し、ここは円満に退職してくれまいか、的な話であった。
    もとよりそのつもりであった僕は了承し(退職後もしばらく支給される 傷病手当金のこともあり)5月末には退職届けを出した。 【俊也個人史最終章 過去より未来を】の続きを読む

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