【野球・球速アップ】ド素人氷河期おっさんが球速200キロをめざす!!【44歳で最速162キロ】

ド素人うつ病氷河期おっさん球速200キロへの挑戦の記録 相互も募集してます yamato19453248@outlook.com まで

    2021年09月

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    今日は日中体調冴えず、夕方近くなってから…

    特殊シャドウピッチング(後述)
    を40球の後、ベンチプレスとプルオーバー。
    【本日のトレーニング、おもに上半身系】の続きを読む

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    漠然と就職し、漠然と退職し、実家に戻りフリーター生活に身を投じてしまった俺。
     
     それなりに居心地のよさを感じてもいた職場を、二度と取り戻せぬ「新卒採用」の肩書きごと捨て、日本でもっとも競争率の高いスポーツにおける、先天的才能に全てが左右される「球速」という能力の増強を、成長期過ぎた身で追い求める・・・・。
     もちろんうまくいくはずもない。2002年夏ごろには110キロの壁を破ったが、その程度の進化が俺の人生を好転させる材料になるはずもなかった。

     


    【管理人個人史⑤ 飲食フリーター、正社員としての苦悩① 【野球球速アップトレーニング】】の続きを読む

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    【本日のトレーニングの一部 マエケン体操の親戚!? 【野球 球速アップ】】の続きを読む

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    【本日のトレーニング、バーベル初動負荷スクワット】の続きを読む

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    自分史語りだけじゃあれなので、この無謀プランの基本方針を示しておきますね

    それが、言わずと知れたレジェンド イチロー氏、50歳まで投げた山本昌さん達が長年取り組んで来た

    初動負荷トレーニングです



    【【僕のトレーニング基本方針】初動負荷トレーニング(疑似)その①】の続きを読む

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     2000年4月、大学を卒業した俺は名古屋の居酒屋チェーン店に就職。
     
      たとえ望まぬ進路だったとしても、全力でこの社会に適応しよう!

     当初、俺はそう考えていた。
    俺の得意技、「苦手な環境への過剰適応」である。
    研修でもやたらと挨拶等で声を張り上げ、言動に気合をにじませてみせていた俺は、新規展開の中華パブレストランのオープニングスタッフの一人に指名された。一応「店長代理」という肩書きもいただいた。
    【管理人個人史④ #球速200キロプロジェクト】の続きを読む

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    ダッシュ、ウエイトトレ、投げ込み、はてはEMSと呼ばれる、筋肉への電気的刺激を用いたトレーニング・・・。‘98年末~‘99年2月の3ヶ月弱の期間、がむしゃらに俺は肉体を追い込んだ。
    こんなんやっても、150キロのボールが投げられるわけじゃないのに・・・・途方もなく無駄なことしてるぞ俺よ・・・・。

    内面の理性の声も、例によって無視した。


    【管理人個人史③ #球速200キロプロジェクト】の続きを読む

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    大学時代:晴れて地元の私立大学に入学した俺。だが硬式野球部はそれなりにレベルが高く、推薦でしか選手を採らない。まあ自分にとっては「自分のやりたいジャンルを自分のペースでやる。」ということが重要だったから、いきなり容赦なく淘汰にあうような体育会系野球部に、この時点で無理に入りたいとは思わなかった。
     結局、軟式野球同好会サークルへ入ることにした。
     ここなら心置きなくピッチャーとしてのトレーニングが・・・・

     

    【管理人個人史② #球速200キロプロジェクト】の続きを読む

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    取り敢えず現状の前提条件が分かりやすいよう、僕の個人史をざっくり載せますね

    小学校四年生くらいまでは、喘息の持病があったこともあり、あまりスポーツというものに積極的になれなかった。というより、二年生ぐらいまで自転車にも乗れなかった。
    大体高校生くらいまでは、男子の価値基準とかマウンティングは運動神経の良し悪しで決まってしまうものだ。当然そんな中僕はコンプレックスの塊となり、どんどん運動から遠ざかっていく…と思いきや、ちょっとした転機が訪れた。
    四年生の時、学校のレクリエーションで出会ったフットベースボール(当時はサッカー野球と呼んでいた)である。「ゲームとしての野球」の面白さに目覚めたきっかけである。
    そして五年生の時にテレビで見た「トルネード投法の男」の豪快なピッチング。
    フォアボールを出しても、それ以上に三振を奪ってねじ伏せる投球に、僕は目を奪われた。
    「速球投手」というカテゴリーへの憧れを強くした瞬間であった。
    そして中学校入学…当然野球部入部…といきたかったのだが、自分の体力、運動神経が、同学年の平均値よりかなり劣ってしまっていることに気づいてしまっていた。無理に入って頑張りまくっても、三年間球拾いで報われずに終わることは明白。まだ喘息が悪化する不安はあったし、体育会系的なノリへの根本的な拒絶反応もあった。
    それなら個人で好きにやろう。帰宅部トレーニーとして…。
    普通とは違う、僕だけの方法論で、腕力、その他の能力に秀でた連中を出し抜く!
    これは今でも僕の基本理念となっている。
    なんとしても、力をつけたい…運動部のヤツらが考え付かないような方法で…。
    片足スクワットや片腕立て伏せ…。バスタオルを使ってのシャドウピッチング…。当時はまともなトレーニングの知識などなかったから、素人考えででたらめな事ばかりやっていた。腕を太くすれば速い球を投げられる、と思っていたから…。
    しかし現実の進化は亀の歩み…。公園でバックネット相手に投げていたら、飛び入りで参加してきたサッカー部員の方が遥かに速い球を投げられる…これは惨めなもんである。
    そうこうしているうちに高校受験の時期がやってきて…僕は見事に失敗し、滑り止めの私立高校に通うこととなる。
    高校一年の時にJリーグが開幕。「野球はオッサンの娯楽」的な風潮が急激に広まりだしたのがこの頃である。僕もクラスの話題についていくべく必死こいて、サッカー雑誌を立ち読みしていた。
    振り子打法を駆使する細身の青年が突如として球界の表舞台に現れた時も、正直それほどの感慨は湧かなかった。
    野球に対する情熱は萎えかけていた。
    でもなぜか、我流トレーニングだけは続けていた。将来に対する漠然とした不安を抱きながら…。
    このままいけば、まあどこか大学には入れるだろう。何とか就職したとして、で、その後どうする?
    文武どちらにも、自分に特別な才能などないことは判っている。それどころか精神と頭脳と肉体の容量が絶対的に足りない自分が社会に出ても、荒波に呑まれ流されるだけの人生しか待っていない。
    人知れず思い悩んでいた所へ、アメリカに渡った「トルネードの男」が旋風を巻き起こしたのである。

    【管理人個人史①】の続きを読む

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    名前:俊也

    1977年8月22日生まれ現在44歳

    東海地方在住

    体格:身長173センチ体重70キロ前後 体脂肪率13~15%

    偏差値52位の私立大学卒。

    運動部系経験、なし!

    長年飲食チェーンに勤めるが…

    店長時代の30代後半でうつ病となり、退職。
    一時期悪化の一途をたどり、いわゆる希死念慮も。
    しかし、中学生の頃から追ってきた夢を思い出し、辛うじて生きています。

    それは…


    【はじめに。私のスペック。】の続きを読む

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