数ヶ月程伏せって、年明け2015年。
副社長から電話が来た。
これまでの経緯の謝罪プラス、まだ僕に対し色々含むところありありな社長に忖度し、ここは円満に退職してくれまいか、的な話であった。
もとよりそのつもりであった僕は了承し(退職後もしばらく支給される 傷病手当金のこともあり)5月末には退職届けを出した。
その後は、寝込んだり、その辺に買い物やトレーニングに行けるくらいと、心身の状態の波は荒かったが、トータルでは少しづつ回復しているように思えた。
そして2016年春、副社長から再び連絡。
件の社長がとうとう労基の手入れや、幾人かの社員の親会社への告発等でその地位を追われ、もし僕がアルバイトから社会復帰試みるなら、気兼ねなくできるがどうか?とのことだった。
まぁ、正直その時からまとめブログの運用や、投手トレーニングのコンテンツ化で最終的には稼いでいくつもりではあったが、まだ稼ぎは雀の涙。
やらせていただきますと答えた。

一介の気楽なといってはアレだがバイトとして復帰した古巣の店は基本楽しい職場であった。
新顔の学生バイトや、若い店長さんとも仲良くさせて頂いた。
以前のように午前様で飲むとかはまだダメだったが、遊びに出る頻度も少しづつ増えていった。

そしてなによりあの荒川がいない。

「多分僕は7割くらい回復している。」と普通に思っていた。
このまま繋ぎで稼ぎながら、ネット事業を成功させれば…。

だが、2017年春頃から、歯車が急激に狂い始める。 
ある日不意に、忙しいさなか、レジ前で僕はスイッチが切れたように倒れてしまう。
で、そうなる頻度が段々増してきた。
そこまでいかなくとも、手汗や息苦しさ、動悸を感じ、やむを得ず早退させて頂くケースも増えた。

なんだ?なんなんだ…
そしてとうとう限界を感じ、夏頃にはお店をフェイドアウトする事となってしまう。
また、寝込む日々。
振り出しに戻ったというより、ここからが、自分のうつ病の本番だった。
少し回復したと見て他のアルバイトを試しても、1週間持たず断念。

布団の中で寝られればよいが、そうでない時は、例えば荒川や弥生の自分に向けられた言動が繰り返しフラッシュバックする。
2019年末くらいが、多分最悪の時期であった。

「最悪の選択」を何度も考えた。
たぶん、働けていた2016年頃は一種躁状態。
その反動で、バイト含め20年弱、本来の適性とは遠いサービス業で、「耐えるべきでない事も無理矢理耐えてきた」古傷が一気に開いてしまったのだろう。無論弥生や借金の件も含め。

もう、自分の全てを終わらせようか。
そう具体的計画まで練り始めたある日、ふっと昔良く訪れていた野球サイトの記事が目に入る。
 
ああ…

そうか…

かつて僕はここで戦っていた。
自分を終わらせる事を考えるなら。
もう一度体当たりで挑戦してみるか。
これまでの野球人生のトライ&エラーの集大成!それに新たなる知見を加え。

そうだ。座して死を待つなんて損だ!

こうして、僕は少しづつ、再び、始めた。
筋トレ以前に布団から出て、外を歩くところからだったが。
以前から研究していた初動負荷トレーニングの理論が役に立ち、一日の中で限られた時間ながら、走り、そして投げることが可能に…。

未だ現在も、半日は布団の中だが…、ついに球速は、少なくとも30代後半以降最速の105キロをマークした。
こうなれば進撃は止まらない、電撃戦だ!人生の総反攻作戦だ!!

まずはわずかな稼働時間でも質の高いトレーニングを積み重ね、40代しかもスポーツ経験ゼロのおっさんにはありえない数字を出す!

140キロ、150キロを超え、そして…。
今の自分はその一念です。


…毒塗りナイフで背後から刺されたいくつもの傷。
当面は塞がらないだろう。
しかし先方を憎んでも無駄なエネルギーだろう。
あの時は僕が劣っていた、足りなかった。
例えば荒川氏にかんしては確かに性能は圧倒的に凄かった。
先方の土俵で惨敗した。敗けたらどうなっても文句は言えない。それがこの世の中の現実。

僕自身は本来のやり方で何段階も上の次元にこれから駆け上がる。
そのうち先方がたのことも忘れてしまうだろう。

皆様に、そのプロセスと今後の圧倒的無双振りを見てくだされば幸いです!

長文自語り失礼しました!