漠然と就職し、漠然と退職し、実家に戻りフリーター生活に身を投じてしまった俺。
 
 それなりに居心地のよさを感じてもいた職場を、二度と取り戻せぬ「新卒採用」の肩書きごと捨て、日本でもっとも競争率の高いスポーツにおける、先天的才能に全てが左右される「球速」という能力の増強を、成長期過ぎた身で追い求める・・・・。
 もちろんうまくいくはずもない。2002年夏ごろには110キロの壁を破ったが、その程度の進化が俺の人生を好転させる材料になるはずもなかった。

 


ここで時系列的に遅れてしまったが、大学生活後半から30歳過ぎまで僕と関わった弥生(仮名)という女性について語っておかねばならない。
なお、恋人、彼女ではなく、男女の関係は一切ない。
まあ、確かにきっかけは、例によって童貞を拗らせた僕が不器用に必死にアタックしたからではあるが。
最初は二人きりで食事等に行くだけで夢見心地であったが、段々彼女独特の奇妙にねじれた男性観(そもそも恋愛、結婚というもの自体に興味なく、性的なものはおろかスキンシップも嫌がる)に気づき、2001年ころには恋愛の対象からは外して、誰か別の女性と接点を持とうとも考えたのだが…。
時すでに遅かった。もともと極端に気弱、大人の人間、男性としての芯となる部分を持っていなかった僕は、彼女にどこか軽く見られ、貴重な休みの日に使い走りさせられることのみならず、ことも有ろうに気が付いたら(なんの根拠もなく)給料の3分の2を貢がされる。それを拒絶することが出来ず、精神的に完全に絡めとられ、支配されていた。
そう、少しでも自由で良好なトレーニング環境を求めてこのご時世にフリーターになったつもりが、結局週5フルタイム、常時疲弊してる様な環境に変わりはなくなってしまったのだ。
そして手元に残るお金は、近所のジム通いやサプリメント購入も怪しい、雀の涙しか…。
(この弥生との歪な関係性は、とてもこの場で説明しきれない。
今、あれがなんだったかも、なんで断れず、誰にも相談できなかったかも自分自身説明できない。
強いて言えば半自伝的ネット小説、「鎖の夢」がアルファポリスさんにあるのでお暇ならお読み頂きたい。)

そして、仕事の方も…。
余計なストレスを抱えプラス無理なトレーニングで疲弊した状態も手伝い、元々の不器用さ、スキル不足や視野の狭さという、特に飲食業には致命的な弱点がここでも露呈した。
日々、頭の切れる年下の学生アルバイトさんたちの前で怒られ続ける日々…。

なんのために僕は毎日毎日…。



前向きな将来設計を語り合う学生アルバイトたちをみつつ、かすかな後悔を抱き始めてもいた。
 自分自身、店の戦力的にも中途半端な存在となりつつあった。
 このまま、生暖かい沼地のような日常の中で、とまったままの時間を過ごすのか・・・。
 
 「現実との妥協」という選択肢が頭をよぎる。
 すこしづつ就職情報を集め始めた2003年3月ころ、転機が訪れた。

 前任者の異動に伴い、急遽俺が店長代理として店を預かることになったのである。
 初めて俺は「マネジメント」なるものに取り組むこととなった。

 正直、終始俺一人テンパって視野狭窄になってるところを、前任者が育てたバイトマネージャーたちにフォローしてもらう、ということの繰り返しだった。
 あのころはみんなにほんとに世話になりました。
 それでも「スタッフに目標を与え、モチベーションを上げてやりつつ力を発揮させる」ことの面白さを感じてもいた。 


こうして地べたに根を張って生きてくべきなのかな、俺も。
  
 が2003年も終わりに差し掛かったころ、再度転換点が訪れた。

 なんと現在勤めている店が2004年1月末に閉鎖決定、近郊に姉妹店もないため、俺も含めたスタッフはみな退職勧奨を受ける身となってしまったのである。
 戸惑いを隠せないスタッフだったが、それでも残り2ヶ月、きちんと有終の美を飾ろうということでみな団結してくれた。

 2003年クリスマス~2004年年始は、カスタマーサイドは閉店のことを知らなかったにもかかわらず前年比100%をクリア。俺も閉鎖後のことは考えず、販促等に専念した。

閉鎖まで半月足らずのある日、一緒に閉店作業をしていたあるバイトマネージャーの女子大生の子に、
「内野さんは、ここやめた後どうするのですか?」と質問された。


それまでは漠然と、似たような業種に就職活動するんだろうな、とぐらいにしか考えていなかったのだが・・・。

そのとき、ふっと頭をよぎったのはピッチングトレーニングのことだった。
・・・・まだ、俺の中ではくすぶっていたのである。

2003年1月31日、学生時代から足掛け八年在籍した店が閉鎖。
何のかのいって、ここまで自分と実社会との最大の接点となっていた存在の終焉。感傷はあった。
閉店業務もすべて終わり、2月4日、俺は生涯初、「無職」という立場になった。


就職活動は3月ごろから始めた、とは言え、フリーター暦の長さが想像以上のネックとなり、なかなか面接までも辿り着けない。

第一俺自身に情熱がなかった。リクルート自体が失業保険が出る条件となるならそれでよい、という感覚だった。
そう、再び俺は「始めた」のだ。

これまでとは比較にならぬくらい、時間はありあまっている。
好条件でのトレーニングに、球速は瞬間的にとはいえ120キロまで跳ね上がった。

あせって就職したい、安定に逃げ込みたい気持ちも、頭の片隅にはある。
だがそれ以上に、夢と最後まで戦い抜きたいという気持ちのほうが強かった。
死ぬとき後悔はしたくない・・・。


野球界は揺れていた、近鉄、オリックスの合併騒動。
1リーグ制への動き、ファン無視のプロ野球機構側の蠢動・・・。

そして、ライブドア堀江貴文社長、楽天三木谷社長、ソフトバンク孫社長ら、
旧世代の呪縛とも、バブルの狂熱とも無縁な、ITベンチャーの雄たちの新規参入活動により、確実に何かが変わりつつあった。

願わくば、歴史の一員になりたい。
なんとも身の程知らずな野心だが、そういったものになりたいがため、ここまで実質10年近くも、天邪鬼なことをやってきたのである。いまさら堅実ぶって、しょっぱいリクルートやってなんになる。(やってたけど)
どうせいまから就職したって、どうやったって生涯収入、同期に追いつけやしない。夢の残骸抱えたまま、搾取されるのみの日々・・・・。
俺が真に望んでいるのは・・・・・・。