2000年4月、大学を卒業した俺は名古屋の居酒屋チェーン店に就職。
 
  たとえ望まぬ進路だったとしても、全力でこの社会に適応しよう!

 当初、俺はそう考えていた。
俺の得意技、「苦手な環境への過剰適応」である。
研修でもやたらと挨拶等で声を張り上げ、言動に気合をにじませてみせていた俺は、新規展開の中華パブレストランのオープニングスタッフの一人に指名された。一応「店長代理」という肩書きもいただいた。
しかし、なんのために、なにを成し遂げたいか、を明確にしないまま、ただ我武者羅に取り組んでいくだけのやり方が、通用するはずもなかった。
 接客はともかく、厨房における、というより根本的なスキルとセンスの絶対値不足が露呈してしまった。これは、この後にも、俺の人生の宿痾として残り続ける。
 徹底的なマニュアル教育だったファーストフードの受身の感覚に慣れきってしまっていた俺は
「そんなもん見て体で覚えろ」的な伝統的な空気を残した厨房の雰囲気にどうにも馴染めなかった。
それでも何とか自分なりに努力し、スキルを遅いなりにも向上させていってはいたが・・・。

ある日まかない飯を食いながらふと思った。これでいいのか俺の人生?
いやそれ以前にもなんどもそう思ったが、その度に
「へこたれるな、今が頑張りどころだ、石の上にも3年!10年!!耐え抜けることが俺の長所だ」
そう自身に言い聞かせてきた。

だがはっきりした野心もなく、方向性も戦略もないまま、ただ愚直に頑張り続けることにどれほどの意味があるというのであろうか?

このまま店を任され、スキル的にも精神的にもまったく準備不足のまま売り上げ確保の重圧に直面する・・・。
店長会議で針の筵に座らされている自分の姿が目に浮かんだ。
運良く将来結婚して家庭を持つ事ができても、当然ろくに省みてやる事もできない。それに見合うだけの
報酬があるとも(先輩社員たちの様子を見る限りでは)思えない。

それでもそこが強く望んだ世界であるならいい。だがフリーターの哀れな末路とか生涯収入がどうとかいう
フレーズにもろくも惑わされ、まあとにかくバイトで経験のある接客業であるならどこでも、と漠然と選んでしまった就職先である。
第一、子供に胸はれる父親に、いまのままでなれるのか?

結局、高校三年の頃に、もっともなりたくなかったものになろうとしているじゃないか・・・・。



気合充満させて臨んだ研修から7ヵ月後、公務員試験を受けたい、などと適当に理由をひねり出して、
「せっかくのチャンスを・・・経歴に傷つけて・・・後悔するぞ!」などという、上司の方たちのごもっともな忠言も容れず、俺は名古屋を後にした。


そして俺は、学生時代のバイト先であるファーストフード店に、月120時間契約で復帰。
長いフリーター生活のトンネルへと入っていくのであった。