ダッシュ、ウエイトトレ、投げ込み、はてはEMSと呼ばれる、筋肉への電気的刺激を用いたトレーニング・・・。‘98年末~‘99年2月の3ヶ月弱の期間、がむしゃらに俺は肉体を追い込んだ。
こんなんやっても、150キロのボールが投げられるわけじゃないのに・・・・途方もなく無駄なことしてるぞ俺よ・・・・。

内面の理性の声も、例によって無視した。


そしてこの努力は、見事に報われなかった。

球速は上がるどころか下がっていたのである。
そんなバカな?計算上間違いなく110キロオーバーするはずなのに・・・・。ウエイトよりも、走りこみの比率を増やしたほうがいいのか?
原因が判ったとしても無駄なことであった。
かなりバイトの時間数を削ってトレしていたので、資金が尽きかけていた。
そして4年進級を目前に控え、さすがに進路の件を考えねばならなくなっていた。
時間切れであった。

 結局、俺も「自分でしかない自分」になるしかないのか・・・。平凡すれすれな人生を維持するために、必死こいて好きでもないことをやりつづけるのか・・・。
 そんな苦い想いを抱きながら、周囲に遅れること半年、漠然と俺はリクルートを開始した。 そしていざ始めてみると・・・自分にできる仕事というものがあまりにも少ないということに気づかされた。そもそも現状が後世氷河期と言われる就職難ということすら、本当の意味では体感していなかった。
 
 なにしろこの三年間、俺は運転免許以外の資格を、取ろうかという姿勢すら見せようとはしなかったのだ。
友人たちがバイトと通常授業とコンパの合間を縫って、様々な資格講座にかよっているころ、俺は世界でもっとも努力効率の悪いスポーツのトレーニングをあてどもなく続けていた。

もっと有意義な3年間の使い方がいくらでもあったよなあ・・・何やってたんだほんとに・・。
実家の家計が苦しく、バイトが忙しかったとはいえ、自分への投資的なことはやろうと思えばいくらでもできた。
あれだけトレーニングできてたんだから・・・・・。
思いっきり痛いじゃないか俺・・・・。

そう悔いる一方で、あきれたことにこの期に及んでも、まだ俺は超速球投手への夢を捨ててはいなかった。
なんとしても、夏には就職決めて、トレーニングを再開する!

9月はじめに居酒屋チェーンに就職を決めると、卒論そっちのけで俺はトレーニングを再開した。
が、うまくいくはずもなかった。100キロ以上の球速は戻らなかった。


達成可能な目標の範囲内において、やりたいことを見つけ、やるべきことをこなす。


たったそれだけのこともできず、俺にとっての大学生活は、一酸化炭素出まくりの不完全燃焼で終わりつつあった。